いしがき、なび。

緑に囲まれた参道の奥に立つ石垣島の唐人墓

HISTORY MEMORIAL PLACE

唐人墓

TOJIN TOMB

鮮やかな色彩の奥にある、遠い海と人の歴史を知る。

1852年のロバート・バウン号事件で亡くなった、中国人労働者を追悼する石垣島の慰霊の場。

INCIDENT 1852年
VICTIMS 128人を追悼
MEMORIAL 1971年に現在の墓を建立

01 FIRST VISIT GUIDE

建築の美しさを見る前に、ここで追悼されている人々を知る。

唐人墓は、色鮮やかな建物を背景に写真を撮るだけの場所ではない。

唐人墓は、1852年のロバート・バウン号事件により 石垣島で亡くなった中国人労働者を 追悼するための慰霊の場です。

中国風の屋根や龍、人物像などの装飾は 遠くからでも目を引きます。 しかし、その明るい色彩の背景には、 強制的な移送や船員による虐待、 武装した捜索によって命を失った人々の歴史があります。

訪問するときは、 まず碑文や案内を読み、 亡くなった人々へ静かに手を合わせてから 建築や装飾を見ることをおすすめします。

AT A GLANCE

唐人墓を知る六つの数字

人数と時間の流れを知ると、 唐人墓が何を伝える場所なのかが見えてきます。

01
事件が起きた年
1852年

ロバート・バウン号事件

02
乗船していた労働者
410人

厦門からカリフォルニアへ移送中

03
石垣島へ上陸
380人

ほかに米国人1人が上陸

04
石垣島での犠牲者
128人

病気・自殺・銃撃などで死亡

05
福州へ帰還
172人

翌1853年9月に琉球船で帰還

06
現在の慰霊墓
1971年

除幕式と慰霊祭を実施

THREE VIEWPOINTS

現地で向き合う三つの視点

  1. 01
    HISTORY 1852年の事件
  2. 02
    MEMORY 亡くなった128人
  3. 03
    PRAYER 島に残る追悼

MEMORIAL PLACE

写真撮影より、慰霊と歴史の理解を先に。

墓の正面や碑文の前を長時間占有せず、 手を合わせる方の動線を空けてください。

大声や装飾を面白がるような撮影を避け、 亡くなった人々への敬意を持って見学しましょう。

CHAPTER 01 ABOUT TOJIN TOMB

唐人墓とは

異国の地で亡くなった、中国人労働者128人を追悼する場所。

唐人墓は、石垣島南西部の富崎にある慰霊墓です。 1852年に起きたロバート・バウン号事件と、 その後石垣島で亡くなった中国人労働者の歴史を 現在へ伝えています。

現在の色鮮やかな墓は、 事件当時から同じ姿で残っている建築ではありません。 かつて富崎一帯に点在していた墓を記憶し、 犠牲者を一つの場所で追悼するために 後年建立されたものです。

建築を見るときも、 まず正面で静かに手を合わせ、 碑文に記された来歴を読んでから 境内を巡りましょう。

中国風の屋根装飾が施された石垣島の唐人墓正面
THE PRESENT MEMORIAL AT FUSAKI

A PLACE OF REMEMBRANCE

華やかな建築は、悲しい歴史を忘れないための慰霊碑。

屋根には龍や人物などの装飾が施され、 中国文化を感じさせる外観になっています。

色彩の明るさだけを切り取るのではなく、 ここに祀られている人々と 事件の背景を知ることが大切です。

01

MEMORIAL

128人を追悼

石垣島滞在中に命を落とした 中国人労働者を弔う場所です。

02

ORIGINAL GRAVES

元は個別の石積み墓

犠牲者は一人ずつ富崎の地に葬られ、 墓が一帯に点在していました。

03

PRESENT SITE

1971年に現在の墓を建立

失われつつあった墓の記憶をまとめ、 追悼を続けるために建立されました。

CHAPTER 02 ROBERT BOWNE INCIDENT

ロバート・バウン号事件

海を渡る労働力として扱われた人々が、船上の虐待に抵抗した。

唐人墓の歴史は、 中国から北米へ向かう一隻の商船で起きた 暴動から始まります。

FEBRUARY 1852

厦門からカリフォルニアへ向かう米国商船。

ロバート・バウン号には、 中国福建省厦門から送り出された 410人の中国人労働者が乗せられていました。

船は米国カリフォルニアを目指していましたが、 船員による虐待が続き、 台湾東方の海上で労働者たちが暴動を起こしました。

暴動では船長を含む7人が死亡し、 船は進路を変えながら石垣島近海へ流れ着きます。

410

LABORERS

乗船していた中国人労働者

厦門からカリフォルニアへ 労働力として移送されていました。

07

DEATHS ON BOARD

暴動で死亡した船長ら

船員の虐待に抵抗する暴動の中で、 船長ら7人が死亡しました。

1852

YEAR OF INCIDENT

事件が起きた年

19世紀の国際的な労働移送と 人権侵害を背景にした事件です。

THE VOYAGE

石垣島へ流れ着くまで

  1. 01
    XIAMEN

    福建省厦門を出港

    410人の中国人労働者を乗せ、 カリフォルニアへ向かいました。

  2. 02
    ABUSE

    船員による虐待

    船内では労働者に対する 暴力的な扱いが続きました。

  3. 03
    REVOLT

    台湾東方海上で暴動

    虐待へ抵抗した労働者たちが蜂起し、 船長ら7人が死亡しました。

  4. 04
    GROUNDING

    崎枝村沖で座礁

    船は石垣島北西部の海域へ到達し、 崎枝村沖で座礁しました。

CHAPTER 03 LANDING ON ISHIGAKI

石垣島へ上陸するまで

船を降りて石垣島へ逃れても、追跡と武装捜索は終わらなかった。

石垣島への上陸は救助の終点ではなく、 英米側による捜索と逮捕の始まりでもありました。

ROUTE TO ISHIGAKI

海を越えた移動の経路

  1. 01
    DEPARTURE 福建省厦門
  2. 02
    REVOLT 台湾東方海上
  3. 03
    GROUNDING 崎枝村沖
  4. 04
    SHELTER 富崎の収容所
380

CHINESE LABORERS

石垣島へ上陸

座礁した船を離れ、 多くの労働者が島へ上陸しました。

01

AMERICAN CREW

米国人も上陸

中国人労働者とともに、 米国人1人も石垣島へ上陸しました。

02

ARMED SEARCHES

二度の武装捜索

3月と4月に英米の船と兵士が来島し、 捜索と逮捕を行いました。

CHAPTER 04 SHELTER & BURIAL

島での保護と埋葬

八重山の役人は仮小屋を設け、生き残った人々を富崎で収容した。

石垣島で過ごした時間は短い避難ではなく、 1年7か月に及ぶ長い滞在となりました。

TEMPORARY SHELTER

富崎に建てられた仮小屋

石垣島へ上陸した人々に対し、 八重山蔵元は富崎の地に仮小屋を建て、 集団で生活できる場所を用意しました。

しかし、武装捜索から逃れて山中へ入った人や、 心身を病んだ人も多く、 全員が無事に帰国できたわけではありませんでした。

1年7か月

STAY ON ISHIGAKI

石垣島での滞在

上陸から帰還まで、 長期間にわたり島で生活しました。

128人

VICTIMS

島で亡くなった人々

病気、自殺、銃撃、餓死など、 複数の原因で命を落としました。

172人

RETURN TO FUZHOU

福州へ帰還

翌1853年9月、 琉球船で中国福州へ帰還しました。

INDIVIDUAL GRAVES

一人ずつ石積みの墓へ

亡くなった人々は、 富崎の地に一人ずつ石積みの墓を造って 葬られました。

それらの墓は地域で 「サンビャクトウヌピトヌハカ」 と呼ばれ、日本語では「三百唐人の墓」と表されます。

墓は戦後まで富崎一帯に点在していましたが、 開発などにより現在は失われています。

FROM SHELTER TO RETURN

石垣島で過ごした時間

  1. 01
    SHELTER

    富崎で収容

    八重山蔵元が仮小屋を設け、 上陸した人々を受け入れました。

  2. 02
    SEARCH

    武装捜索と逃亡

    英米の捜索から逃れるため、 山中へ入った人もいました。

  3. 03
    LOSS

    128人が死亡

    長期滞在の中で、 多くの人が命を落としました。

  4. 04
    RETURN

    172人が福州へ

    翌年9月、 琉球船で中国へ送り返されました。

CHAPTER 05 PRESENT MEMORIAL

現在の唐人墓建立まで

点在していた個別の墓を記憶し、追悼を一つの場所へつないだ。

現在の唐人墓は、 事件から約120年後に建立された慰霊墓です。

唐人墓の建立と事件の来歴が刻まれた石碑
THE INSCRIPTION RECORDING THE HISTORY

HISTORY WRITTEN IN STONE

墓の隣に残る碑文が、事件と建立の経緯を伝える。

碑文には、 ロバート・バウン号事件の経過や 石垣島での収容と帰還が記されています。

建築だけを見て帰らず、 文字を追いながら この場所が造られた理由を確認してみましょう。

PRESERVING THE MEMORY

個別の墓から現在の慰霊墓へ

  1. 1852–1853
    ORIGINAL BURIALS

    富崎に個別の墓を築く

    亡くなった人々は、 一人ずつ石積みの墓へ葬られました。

  2. POSTWAR
    LOSS OF THE SITE

    墓が次第に失われる

    富崎一帯に点在していた墓は、 開発などにより消失しました。

  3. 1970
    COMMITTEE

    建立委員会を組織

    犠牲者を合祀し追悼するため、 現在の墓の建立が進められました。

  4. 1971
    COMPLETION

    除幕式と慰霊祭

    9月28日に現在の墓の 除幕式と慰霊祭が行われました。

01

ISHIGAKI CITY

石垣島で続いた追悼

島に残された墓と事件の記憶を、 後世へ残す取り組みが進められました。

02

INTERNATIONAL SUPPORT

海を越えた協力

碑文には中華民国政府や 在琉華僑からの支援が記されています。

03

MEMORIAL SERVICE

慰霊を続ける場所

現在の墓は、 事件の犠牲者を共同で追悼する役割を持ちます。

TWO FORMS OF MEMORY

現在の唐人墓と、文化財の唐人墓碑は別のもの。

富崎にある現在の唐人墓は、 犠牲者を共同で追悼するために 1971年に建立された慰霊墓です。

一方、事件当時の個人名などが刻まれた陶製の墓碑は、 石垣市立八重山博物館に収蔵され、 市指定文化財として保存されています。

CHAPTER 06 ARCHITECTURE

建築と装飾の見どころ

色彩の強さだけでなく、屋根の上に重なる細かな造形を見る。

唐人墓には、中国風の屋根や龍、人物などをかたどった 立体的な装飾が施されています。

龍や人物をかたどった色鮮やかな屋根装飾を持つ唐人墓
THE ORNAMENTED ROOFLINE OF THE MEMORIAL

LOOK FROM A DISTANCE

正面から全体を見たあと、屋根の上へ視線を移す。

屋根の両端には龍を思わせる造形が配置され、 中央部には人物や動物などの 小さな装飾が重なるように並んでいます。

強い赤や緑、青を使った外観は、 石垣島にある一般的な墓や寺社建築とは 大きく異なる印象を与えます。

01

ROOF

反り上がる屋根

中央から両端へ向かって伸びる屋根の線と、 重なり合う装飾を見ます。

02

SCULPTURE

龍と人物の造形

屋根の上には、 遠くからでは分からない小さな立体装飾があります。

03

COLOR

赤・緑・青の色彩

白い壁を背景に、 鮮やかな色が輪郭を際立たせています。

THREE DISTANCES

三つの距離から見る

  1. 01
    APPROACH 参道から全景を見る
  2. 02
    FRONT 正面の構成を見る
  3. 03
    DETAIL 屋根の装飾を見る

CHAPTER 07 TOMBSTONES & MUSEUM

唐人墓碑と八重山博物館

数字ではなく、一人ひとりの氏名と故郷を伝える歴史資料。

事件当時に造られた陶製墓碑は、 現在の唐人墓とは別に保存されています。

CERAMIC TOMBSTONES

島内で焼かれ、個人の情報が刻まれた墓碑。

唐人墓碑は陶製で、 亡くなった年月日、出身地、氏名、年齢が 漢文体で刻まれています。

犠牲者を匿名の集団としてではなく、 名前を持つ一人の人間として伝える 貴重な歴史資料です。

01

MATERIAL

島内で焼いた陶製

石垣島で製作された陶製の板に、 文字が刻まれています。

02

INSCRIPTION

氏名・年齢・出身地

死亡年月日とともに、 個人を示す情報が記録されています。

03

DESIGNATION

石垣市指定文化財

2004年12月24日に、 有形文化財へ指定されました。

ISHIGAKI CITY YAEYAMA MUSEUM

墓碑は石垣市立八重山博物館に収蔵。

博物館では、八重山の歴史・民俗・工芸などに関する 資料が収集、保存、展示されています。

唐人墓碑は博物館に収蔵されていますが、 展示替えなどにより常に公開されているとは限りません。 墓碑の展示状況を目的に訪れる場合は、 事前に博物館へ確認してください。

所在地
石垣市字登野城4-1
開館時間
9:00〜17:00
最終入館
16:30
電話
0980-82-4712

CHAPTER 08 VISITOR MANNERS

慰霊の場での見学マナー

観光客である前に、亡くなった人々を訪ねる一人として立つ。

唐人墓では、写真の撮り方や声の大きさにも 慰霊の場への配慮が必要です。

RESPECTFUL VISIT

静かに訪れる流れ

  1. 01
    APPROACH 参道を静かに進む
  2. 02
    READ 碑文と案内を読む
  3. 03
    PRAY 正面で手を合わせる
  4. 04
    OBSERVE 装飾や境内を見る
01

VOICE

大声で話さない

団体で訪れる場合も、 墓の正面では声量を抑えます。

02

POSE

ふざけた撮影をしない

墓や石像を背景に、 面白さを目的としたポーズを取らないでください。

03

SPACE

正面を占有しない

祈る方や碑文を読む方が通れるよう、 動線を空けておきます。

04

TOUCH

建物や像へ触れない

装飾、石像、記念碑などに 手や荷物を触れさせないようにします。

05

TRIPOD

三脚で通路をふさがない

長時間の撮影や、 参道をふさぐ機材設置を避けてください。

06

WASTE

飲食物やごみを残さない

境内で出したごみは、 必ず自分で持ち帰りましょう。

CHAPTER 09 KANNONZAKI WALK

観音崎・周辺散策

慰霊の時間を終えたあと、石垣島西海岸の景色へ向かう。

唐人墓周辺には観音崎や海を望む場所があり、 西海岸ドライブへ組み込みやすいエリアです。

唐人墓の境内にある中国風の屋根を持つ休憩所
A QUIET PAVILION WITHIN THE GROUNDS

PAUSE BEFORE MOVING ON

すぐに次の観光地へ移動せず、境内で一度立ち止まる。

境内には屋根のある休憩所や緑地があり、 強い日差しを避けながら 見学した内容を振り返ることができます。

休憩後は観音崎方面へ向かい、 慰霊の場と海の景色を分けて楽しみましょう。

WEST COAST ROUTE

西海岸を巡る流れ

  1. 01
    HISTORY 唐人墓を見学
  2. 02
    MEMORIAL 碑文を読み追悼
  3. 03
    VIEWPOINT 観音崎へ移動
  4. 04
    SUNSET 西海岸の夕景
01

HISTORY FIRST

明るい時間に唐人墓へ

碑文や細かな装飾を確認しやすい 日中の訪問がおすすめです。

02

SHORT WALK

観音崎をあわせて散策

海や島影を眺めながら、 西海岸の風景を楽しみます。

03

SUNSET PLAN

夕日は別の場所で待つ

日没を待つ場合は、 唐人墓の正面を長時間占有しないようにします。

CHAPTER 10 ACCESS

アクセス・駐車場

市街地から西海岸へ、車でも路線バスでも訪れられる。

唐人墓は石垣島南西部の富崎にあり、 観音崎やフサキ周辺とあわせて訪れやすい立地です。

道路沿いに設置された唐人墓の案内標識
ROADSIDE SIGN FOR TOJIN TOMB

FIND THE ENTRANCE

道路沿いの案内標識を確認し、周辺では速度を落とす。

唐人墓は県道沿いにありますが、 植栽やカーブによって入口を見落とすことがあります。

急な進路変更や道路上での停車を避け、 案内標識を確認しながら安全に進入してください。

01

BY CAR

市街地から西海岸方面へ

交通状況に余裕を持ち、 観音崎・フサキ方面を目指します。

02

BY BUS

系統9・川平リゾート線

「唐人の墓」停留所で下車。 運行本数と帰りの時刻を先に確認します。

03

FACILITIES

駐車場・公衆トイレ

駐車スペースと公衆トイレがあります。 混雑時は譲り合って利用してください。

PUBLIC TRANSPORT

路線バス利用時の注意

川平リゾート線は市街地と西海岸のリゾートエリアを結び、 唐人墓付近を通ります。

便数は都市部の路線バスほど多くありません。 現地へ着いてから調べるのではなく、 往路と復路をセットで確認しておきましょう。

東運輸の公式時刻表を確認する

CHAPTER 11 FREQUENTLY ASKED QUESTIONS

唐人墓のよくある質問

歴史とマナーを確認してから、静かな慰霊の場へ。

初めて唐人墓を訪れる方が 気になりやすい内容をまとめました。

01 ABOUT 唐人墓は何を祀っている場所ですか?
A

1852年のロバート・バウン号事件に関わり、 石垣島滞在中に亡くなった 中国人労働者128人を追悼する慰霊墓です。

02 ADMISSION 見学料は必要ですか?
A

唐人墓の見学料は無料です。 墓地・慰霊の場であることを意識し、 静かに見学してください。

03 PARKING 駐車場とトイレはありますか?
A

駐車スペースと公衆トイレがあります。 道路やバス停付近には駐車せず、 指定された場所を利用してください。

04 BUS 路線バスで行けますか?
A

東運輸の系統9・川平リゾート線に 「唐人の墓」停留所があります。 本数が限られるため、帰りの時刻も先に確認してください。

05 PHOTOGRAPHY 写真を撮っても大丈夫ですか?
A

現地の禁止表示がない範囲でも、 墓を背景にふざけたポーズを取ったり、 祈っている方を無断で撮影したりしないでください。

06 TIME NEEDED 見学にはどれくらい時間が必要ですか?
A

墓の正面、碑文、境内の記念碑を 落ち着いて見るなら20〜30分程度が目安です。 写真だけでなく碑文を読む時間を確保しましょう。

07 MUSEUM 事件当時の墓碑は現地で見られますか?
A

市指定文化財の陶製唐人墓碑は、 石垣市立八重山博物館に収蔵されています。 常時展示とは限らないため、展示状況は博物館へ確認してください。

08 NEARBY 観音崎と一緒に巡れますか?
A

観音崎は唐人墓に近く、 西海岸散策と組み合わせやすい場所です。 唐人墓で追悼を終えてから景色を楽しみましょう。

CHAPTER 12 INFORMATION & MAP

基本情報・Googleマップ

歴史を確認し、明るい時間に余裕を持って訪れる。

路線バスを利用する場合は、 帰りの便まで確認してから出発しましょう。

BASIC INFORMATION

基本情報

名称
唐人墓
読み方
とうじんばか
所在地
〒907-0024 沖縄県石垣市新川富崎
施設の性格
中国人労働者を追悼する慰霊墓 一般的な観光施設とは異なります
事件
1852年 ロバート・バウン号事件
追悼者数
石垣島滞在中に亡くなった128人
現在の墓
1971年に除幕式・慰霊祭 事件当時の個別墓とは別の慰霊墓
見学料
無料
見学時間
明るい時間帯を推奨 碑文や足元を確認しやすい日中がおすすめ
駐車場
駐車スペースあり
トイレ
公衆トイレあり
路線バス
東運輸・系統9 川平リゾート線 「唐人の墓」停留所下車

※慰霊祭、施設整備、天候などにより見学環境が変わる場合があります。

LOCATION

唐人墓周辺地図

石垣島南西部・富崎

WEST COAST AREA

観音崎やフサキ周辺とあわせて巡りやすい場所。

路線バスの場合は運行時刻、 車の場合は駐車場所を確認してから訪れてください。

掲載情報確認日:2026年7月21日