いしがき、なび。
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フルスト原遺跡は、いったい何の遺跡なのか、はっきりしたことは解かっていません。色々な仮説があるフルスト原遺跡ですが、それだけにここを訪れここに何があったのか自分なりの推理をされるのも面白いかもしれません。そんな、フルスト原遺跡は、1978(昭和53年)年3月3日に国指定の史跡となりました。フルスト原遺跡は、走路に1本案内が立っているだけなので見逃しがちです。未舗装の道を1本入ってしばらく行くとあります。車であれば遺跡の中まで入れますが、遺跡を傷つけないよう注意して侵入してください。駐車場からは、森を抜けてく感じになります。遺跡は、標高は約25mの石灰岩丘陵上に立ち、目の前には宮良湾が見えます。緑の草原とは言いませんが、野原の中にこつ然と現れます。広がる高い石積みの遺構は、一見、沖縄本島の城跡「グスク」に似ていますが、研究が進み、屋敷を囲う石垣(台風から家を守ったのでしょうか)としての役割ではないかと言われています。その理由としては集落の遺跡と同じように土器の破片などの生活用品が数多く出土し、武器が発掘されないことなどが、理由に挙げられます。遺跡が存続した年代は、14世紀後半~16世紀初頭と言われています。また、近隣の大浜地区の英雄である「オヤケアカハチ」の居城と考える人もいましたが、近年の研究で時代がずれていることがわかりました。あまり観光客は、訪れることはありませんが、遺跡の中心にいると不思議と過去の世界にタイムスリップした感覚を感じられます。静かな遺跡の中は、爽やかな海からの風も感じられますので、ゆっくりとした時間を楽しんでください。
遺跡に近接する旧石垣空港は、第二次世界大戦中に海軍石垣島南飛行場として1943年(昭和18年)に建設されました。戦時中は、滑走路が度々が攻撃を受け、そのたびに爆撃痕を埋めるため、フルスト原遺跡から石灰岩塊を運んで施設を補修しました。その他、畑に利用されたりする中で、石積みはかなり形を変えてしまいましたが、その後の発掘調査で石積みの基礎の部分(根石)が、確認され1992年からの保存修理事業によって、確認された15基の内中7基の石積みが復元されました。復元の際には、島の老人の協力のもと記憶にある6尺~7尺(1尺は約30cm)という高さで石積みの復元作業が進められています。