いしがき、なび。
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1852年中国からアメリカに送られることになっていた約400人の苦力たちが船上にて暴動を起こし、台湾へと帰ろうとするも座礁し石垣島に下船しました。 八重山の役人は仮小屋を建て流れ着いた彼らを収容したものの、船からの報告を受けた英米両軍は苦力を捕えるため石垣島に軍隊を派遣、 船からの砲撃と上陸した兵士による厳しい捜索を行いました。 生きて中国に帰れた苦力は172名と言われており、この事件ののちに中国にて苦力貿易への反対の気運が高まることになりました。 そして沖縄返還の前年1971年に市、台湾、在琉華僑の協力のもと、現在の唐人墓が建立されたのです。
冨崎原一帯には、三百唐人墓とよばれる当時の島民が亡くなった苦力を弔うためのレンガの墓碑が戦後まで数多く点在していました。 現在では、レンガできた墓碑は八重山博物館に収蔵されています。